『新潟県中越地震』被災地での活動報告(1)を追加しました。

今回は、大型1BOXカーに救援物資とスクーター1台とを積載して現地に向かいました。これまでの被害報道を見る限り、四輪での走行には限界があると予測したうえでの行動でした。合わせて、食料と水を事前に調達。現地での活動に備えました。

通常であれば首都高⇒外環⇒関越道と進み、約4時間で到着できる距離ですが、大幅に迂回をし、首都高⇒東北道 ⇒磐越道と乗り継ぎ、現地をめざしました。
スクーター搭載の1BOXカー

品川を夜11時に出発し、翌日の朝7時に新潟市へようやく到着致しました。田上町、栃尾市と物資をお届けしましたが、この辺りはまだ地震の影響は少なかったようでした。ただ、ライフラインは完全ではありません。道路は亀裂や陥没など多少影響はありましたが、全て迂回路が用意されていました。

栃尾市から長岡市に向かう途中から、今回の中越地震の影響が現れはじめました。渋滞の先は崖崩れにより片側通行。県道では舗装が大きくめくり上がり、国道17号では写真のように道路の両脇の電柱がほとんど傾き、いつ倒れてもおかしくない状態でした。また、道路の所々が陥没し、大きな亀裂が走っていました。

国道からひとつ脇道に入ると、車一台分の隙間も無く、今回積載してきたスクーターがここにきて役立つ結果となりました。
県道の危険なところにパイロンを設置していく  両脇の電柱が傾いている  亀裂の入った道路

最後のお届先は十日町市。しかし、そこに辿り着くには今回の中越地震の震源地となった小千谷市を通り抜けることとなります。迂回につぐ迂回、渋滞、そして引き返しと通常の何倍もの時間をかけて目的地を目指しました。

渋滞の先はガケ崩れで片側通行  全壊した家屋  雨の影響で土砂が流れ出しUターンを余儀なくされる

夕方5時過ぎ、すでに辺りは暗く、また電気が復旧していないために頼りはヘッドライドのみ。越後川口を通過中、崩壊した家に遭遇し始めました。住人の安否が気になるも、繰り返される余震に、次は我が身かもしれないという恐怖感に襲われました。

雨が一層ひどくなり、向かう先々では土砂が流れ出します。「急がなくては自分も危ない」と気持ちばかりがせかされるが、慣れない地図を見ながらの走行のため、思うように動けません。更に通行止めが増えていき、またしても大きく迂回を強いられることとなりました。

これ以上、本日の走行は厳しいと判断。最後のお届けはお客様ご了承のもと、翌朝に持ち越しとなりました。長岡市近辺での宿泊を考えましたが、どこもビジネスホテルは満室状態。急遽、知人の住む柏崎市へと向かいますが、どの道も土砂に埋もれ通行止めとなってしまい結局安全そうな平坦な場所を見つけた上で、車中泊となりました。

翌朝早朝から、最後のお届け先へ出発。

最後のお届け先となった十日町市に到着し、ようやく全ての配送を完了致しました。危険な状況下での配送でしたが、行く先々で向けられた「ありがとう」の感謝の声にこちらも励まされ、無事使命を果たすことができました。

最後になりましたが、今回震災に遭われた方々に対し、心よりお見舞い申し上げるとともに、被災地の一日も早い復興を、お祈り申し上げます。

2004年10月26日
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